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お伊勢さまは畏れ多いところでした
前回、神様のお引越しに興味を持ったことで、結果として神様の中心的存在である伊勢神宮に参拝したくなって、早速行きました。その日は到着時刻が遅かったので、とりあえず駅前で夕食を取ってからホテルを探してぶらぶら歩きました。40数年前に一度訪れていますが「赤福」を食べた記憶しかなくて、また今回も下調べせずに突然来てしまい、これからどうしようと途方にくれながら外宮の前までやって来ました。でも神様の気配がしません。「神様は今回もお留守かも?」と不安になりましたが、翌朝早起きして詣でました。参道に入って鳥居をくぐり15mほどのところから強い氣のようなものが感じられ期待感が高まります。豊受大神宮の南御門のところで御正宮を拝むのですが、足元がふらつくほどの強い力が風のように噴きつけていました。それは地底の巨大なマグマのような測り知れない力であり、その前では善も悪も消し飛んでしまうほどの恐ろしいもので人の存在は砂粒にも値しないようでした。打ちのめされた心地でその場を辞して三ッ石のところに来ました。そして、ついうっかり石に触れてバチが当たりました。右手が感電したような感じで中指が動かなくなったので、池の方向に逃れて行くと観光客が小さな石橋のところで写真を撮っています。私も亀石の上で池をボーっと見ていると左足が先ほどと同様にしびれてきて不整脈が出始めました。とても耐えられなくなって境内の外に出ると、不整脈は2時間ほどで消失しました。その後は前より元気が出て来た気がしました。
午後から内宮へ行きました。宇治橋を渡ってほどなく、ホンワリした暖かい(遠赤外線効果に似ている)感じがしてきて、その感じは境内全体に満ちていました。御正宮を参拝した時も感じが強まるだけで外宮で感じた恐ろしさはまったくありません。内宮、外宮ともそれぞれに穏やかな「和御魂」と勇敢な「荒御魂」を祭っているはずですが、感じられる「氣」の違いはどこから来たのでしょう。内宮に祭られている天照大御神様の境内では力の元が何かに覆われたような感じの柔らかな波動に感じられます。それに比して、外宮では強い鋭い焼くような波動でした。これは神様の性格によるものでしょうか?役割のせいでしょうか? それとも天照大御神様は再び天岩戸に入られて半分顔を隠されているのでしょうか?
ぼんやりそんなことを考えながら内宮を後にして「おはらい町」を歩いていると、通りは賑やかでイベントもあるらしく、若者が喜びそうな時世に乗じたお店が並んでいて祭りの雰囲気がありました。それに較べて外宮のある駅前に活気が無かったのが気になりました。市街地の真ん中に位置するのに閉店している店が目立ち、ビルも老朽化したものが多いようです。現代人が伊勢詣でをしなくなったとはいえ この違いはかなりのものです。内宮は皇大神宮ですが、皇族の方々は両宮を参拝されるはずだし、神社仏閣は無税だから街の経済に関与しているとは思えません。天照大御神様がお呼びになった豊受大御神様を地元民が軽んじるはずはないけれど、外宮は5百年近く遅れて建立されているので新参者の扱いなのでしょうか?どうも私には「氣」の種類が関係しているように思われました。外宮の激しい氣は近くのものを弱らせてしまうのではありませんか?境内の外へはブロックされている感がありますが、それでも長い月日のうちに少しずつ被曝したような感じになったのではないですか?それに対して、内宮の穏やかな氣は私たちに太陽の恵みのような効果を与えてくれるのかもしれません。ただ内宮の氣は遠くにあるために恩恵をもたらすのであって、もし近くに寄ろうとすれば脅威と変わるのでしょう。その意味で外宮は庶民に近いところに存在しているのかもしれません。
そしてわかったことがありました。私の親族に「荒御魂」のような強い力を発している人がいて悩みの種でした。彼女はいつも周りの人たちとうまくやれず、相手の自立を認めません。自分の思う通りに事が進まないと癇癪を起こして従わせるので相手は疲れ切ってしまうのです。こんな場合は納得してもらおうとせずに相手との距離をしっかり保たなければいけなかったのです。接近して説得しても彼女の力が大きすぎるのでこちらが疲憊するだけでした。戦わず遠巻きに見ているのが最善の策だとやっとこの時気付きました。
投稿者 kozue : 22:18