« 2010年03月 | メイン | 2010年06月 »
改築中神社の神様はお留守です
神楽坂に行った折に赤城神社に寄りました。全面的な改築工事のため参道の門は閉鎖さられていましたが、良い『氣』だけでも頂こうと石柱の前にたたずみました。神社に感じる「霊気のようなもの」は全く無く、傍らの大木に手を触れて確かめてみても何も感じられません。変だなと思って少し周辺を歩くと左側から良い気配がするので、近寄ってみると仮の祭壇がしつらえてありました。みかん箱を数倍にしたような木の覆いの中にお神酒と鏡がちょっこんと置かれて、張り紙で「参拝はこちらでお願いします」とあります。改築中の立派な建物には似つかわしくない簡素さで拍子抜けしましたが、正面に立ち参拝するとすごい『氣』を感じます。それは『鏡』から発生していて、人為的に最近入れられたようでした。この現象に遭遇して、これまでの神様とか氣とか霊的な物に対する考え方が間違っていたことを知りました。
今まで、「霊気のようなもの」はその『土地』や古くからある『物』ーたとえば石、剣、仏像などーに存在していてそこに限定されたものだと理解していましたが、赤城神社の神様は本殿のご神体から何らかの手段で小さな『鏡』の中に移されていました。その神様の気配はかなりの強さを持っており、交感神経が興奮させられてやる気を出させるもので、これって高尾山の神社や奥沢神社でかって感じたことがありました。
真実を確かめるべく、奥沢神社の神主様を訊ねることにしました。善日に神社に参拝してると後ろから神主様に声をかけられました。アポ゚無しの初対面なので偶然にしては出来すぎね。そこでうかがった話を私流にまとめると、神様は私たちがお願いしておいでいただくのだが、お願いするには場所も人も時もきちんと整えなければいけないようです。神様は高いところや綺麗なものや正しいものがお好きなようで、そういうところにとどまり熱烈歓迎に応えられるのでしょう。でも、工事中でうるさかったり、下心ありそうな時は去ってしまわれるらしいです。神様の性格は大雑把に分けると、荒々しい武将タイプと穏やかな和平タイプがあるようで、それは親族的に受け継がれているらしいです。民衆の都合で、時代とともに神様の人数?も増え問題児も出現しました。だから旧来の単純な祈り方ではご利益が出にくくなったのかもしれません。私が感じている「霊気のようなもの」は神様の気配かもしれないし『氣』なのかもしれず、それが良いものだとは限らないそうです。
奥沢神社の神主様は『神様』と『氣』を分けておられましたが、私は同一線上にあるものだと考えています。全ての人に7~8種類の『氣のようなもの』が出ているのが見えます。他の動物や非生命体である物質、人工物からも同様に発生していて、出ている種類と数が違うだけです。その性質には神様の武将タイプと和平タイプが少しずつ含まれています。人間に交感神経と副交感神経が拮抗しながら働き生命を維持しているのも同じようなことかもしれません。『氣』を見れるようになってから「神は全てに宿る」という感覚が分かった気がしています。古代の人たちは『氣のようなもの』をみんなが感じて見ていたのでしょう。仏や菩薩やキリストやマリア様が背後に光輪を着けておられる姿は見たとおりを描写したものではないかしら。
『氣』が見えることで、病気の有無や幸運の招聘が分かればどんなにすごいかと妄想しますが、実際は何の役にも立ちません。これは特殊能力というより誰でも可能なものらしく、33名に『氣』の見方を教えたところ31名が見ることができました。実用的ではないけど見えた『氣のようなもの』が『神様』に連なっていると思えば、ちょっと素敵じゃないですか。それに神様はきちっとお願いすればお越しいただけるようです。しかし、ご利益を得られるかどうかは神様しだいなのかしら。
投稿者 kozue : 19:49