こずえレディースクリニック 院長ブログ:東京都目黒区祐天寺駅近く女性外来・心療内科「こずえレディースクリニック」布施梢院長ブログ
2010年08月28日

男と女の立場

結婚生活が長くなると夫婦関係をそれなりに変えていく必要がある。私の場合、お互いの役割が違ってきたことよりも男に対する認識の変化に負うところが大きい。

フェミニズムが台頭した私の世代の男たちは名誉と権力、金に対しての欲望を親たちの世代ほどあからさまに前面にだしてはいなかったが、はっきり体感していたと思う。女性の社会進出は良いことだと唱えながら、自分の奥さんには共働きにもかかわらず家事一切を任せきっていた。自分の出世のためには妻が協力するのが当たり前で、妻の所得が夫を上回っていたりするとその夫婦はいずれ離婚することになるのが常だった。出世競争は熾烈を極め、そこへ女が割り込む余地はなかった。というよりは、女を排除することに社会の暗黙の了解がなされていた。こんなことを書く私をバリバリのフェミニストだと考えるかもしれないが、当時の私はむしろ逆の立場にいたのだ。幼稚な私は男たちが要求する女性像に近づこうといじましい努力をしていたと思う。先輩の男性医師が研修医である私に「女はバカなほうが可愛いい。利口な女はダメだ!」と忠告?してくれたことがあった。あの時代、男女兼用の当直室でいつ誰が入ってくるかもしれない場所で眠り、夜中に男性医師が排尿したのを知っている洗面台で翌朝、歯を磨いたりしなければならぬ状況にあっても、また結婚式の直前と産休の直前、直後に当直が組まれていても、それが自分に対する悪意というよりは男性社会からの参入拒否勧告なのだと感じていた。だから、同じ職場で働くのならば彼らの補佐の役割しかなかったし、またセカンドとしての立場を利用しなければ家庭生活や育児が両立できなかった。
個人の資質がどうだろうと男女の立場の差は崩れるものではないと世間が長い間考えていたにもかかわらず、時代とともに女は生き易くなった。世界全体が自由平等への潮流に飲み込まれてしまったおかげで、私たちにも恩恵がめぐってきた。そして男女の格差が縮まると女性は男性が以前に手にしていたものを大胆に主張し始めている。自民党に代わった民主党のように独自の価値観なしに暴走しようとしているようだ。この風潮に危ういものを感じるのは私の思い過ごしなのか。
私は最近になってやっと若いころの自分の位置を把握できるようになった。あの時代に生きて、苦労を強いられた腹立たしさは感じるが、元来が立場上貧しかったので大きな不満を抱えていたわけではなく、その後の社会情勢で少しずつ女性の待遇が上がっていくのを経験できたことは結構嬉しかったし、得したなと思えた。
とりあえず目前のことを一生懸命やっていれば長期的には利益につながることになる。時流を見る力がない私のような者はその立場で頑張るしか道はないじゃない。誰かのようになりたいと望み、変革を目指して走るのはエリートに任せて、後方集団である私たちは日々の糧を少しずつ貯蓄するように生きてゆくのがふさわしいのだと思える。欲望のままに行動できるほどにはこの社会は成熟していないのだから。
先日、夫婦関係について考えていて≪男と女の立場の違いの本質は出産にある≫という命題に行き着いた。
あたり前のことを何を今さらと思われるだろうが、このことを心底納得できる機会が持てた。それは患者さんに『産後うつ』の説明をしていた時のことである。なぜマタニティーブルーズが起きるかというと出産直前に女性ホルモンは平常時の200倍以上になり子宮などの臓器も数十~数百倍になる。そのほかのホルモンや臓器も著しい変化を遂げるのだが、児の出産と同時に元の1倍に戻るという想像を絶する変化が母親に起こる。マタニティーブルーズはこの激変する体の悲鳴なのだ。ちなみに男性の体は生涯大きく変化することがない。この説明を患者さんに今まで何回も繰り返してきたのに、『これだけの災難をもし、男が担ったならば彼らは生きていられないだろう。その役割を担うものを女と定めて、子孫継続の過程を最優先するように男も準備させられていたのだ。自然は女に月経というミニ流産を何回も繰り返させて耐性をつけさせた。PMS(月経前症候群)だって、そのために用意された現象なのだから。そして更年期に、用済みとなった女から、さっさと女性ホルモンを奪い取ってしまう非情なことが行われる。何百回という月経周期の激しさを体験させられて、やっと自分をコントロールできるようになった途端に。こうやって、自然は女という個体がどんなに苦しもうとお構いなく任務を遂行してゆくのだ。』という思いが突然、こみあげて胸を突いた。全て今まで感じていたことで何も新しいことではないが、この時、女の立場がリアルな情景をもって捉えられた気がする。そして『男は女を絶対に理解できない』という確信を得た。男が出産という困難を乗り切れるように創られていないのだから、神は女を歴史の縦糸に選び、横糸として歴史に編みこまれる立場の男たちと私たちは同化できないと思った。
だから、本質的に理解不可能に創られている男と女が共同生活をする場合は、何らかの利益がなければ無理だろう。もし夫婦ならば①経済的、②性的、③便宜的な条件のどれか一つでも利益が生じて、その他に負債がなければ、関係を続けるのは良い選択と考える。

Posted by kozue : 18:05

2010年07月24日

マイブーム ベスト3

娘時代のお馬鹿な私は「長生きしても良いことなんか何もなさそう!」と考えていたので、老いてからの人生計画はなかった。年寄りは美味しいところが出尽くしたダシガラのようなもので捨てるだけだと思っていた。周囲に立派な大人がいなかったせいと貧しい情操教育のために豊饒な人生がどんなものかを想像できなかったのだろう。経験することがどれほど理解する手助けとなり、自信をもたらすものかを学んできたはずなのに遅まきながらやっとそれに気付いた。経験することは知ることであり、自分の知識が増えて行くとその関連で発見がなされて、私固有のモノの見方が出来上がるらしい。それは私の世界の法則である。以前に『マーフィーの法則』がベストセラーになったとき、ずいぶん強引に物事をさばいてしまう著者だと思っていたけど、自分の法則として語っていたのだと考えると合点がいく。私も日常の中で自分の法則を発見することが多くなった。年を取るほど新しいことに出会えて、「オオー!」と驚嘆する機会が増えるとどんどん人生が面白くなってくることを今まで誰も教えてくれなかった。

そこで法則作りが目下マイブームとなっている。何といってもベスト1は≪長生きすることは経験を積むことで、それによって自分の法則を発見すると一人で楽しめる≫というものだ。ブームのきっかけを与えてくれた有り難いインスピレーションだから、どこかに書いておいて後生大事にしないとまたすぐに忘れてしまう。法則というよりは語録に近いかもしれないけど、まあいいか。

ベスト2は≪すっきりした排便はリラックスしているときにのみ訪れる≫、ただし腸壁内神経叢が大幅に関与するとき(細菌感染、薬物、毒物など)を除く。以前に幸福感を得る方法論でも書いたことだが、大便がスキッと出るとその日一日うきうき過ごせるのは誰もが経験している。さらに、最近のマイ発見は『大便は出して良いと判断した時のみ排泄される。このとき交感神経が緊張状態にあれば、体は戦闘態勢にあり排便する状況ではないと判定する。だから便秘の人はリラックスできる場所がどこにもないということになる』、このことについこの前気づいた。40年も医者をやっていながら便秘の成因の1つが『常に緊張する場所に身を置いていることにある』のをやっと知ったとはおそまつ・・でもこれが分かったことで治療は一歩前進よ。 便秘の人には交感神経の緊張を解くように勧めている。

ベスト3は≪ 母性は原始的な本能ではなく知性で創られる≫、『女は本質的に母性を持って生まれる』と教えられて育ったが、いつも納得できないことが我が身に起きていた。幼児のころから私は子供が嫌いだった。子供は面倒なだけでどうしても可愛いと思えなかったから、よそのおばさん達が他人の子どもに嬉しそうにちょっかい出すのが不思議だった。出産直後に血まみれのわが子を抱いたときだって「フーン!こんなものかい」と冷めていた。いろいろ苦労して子供を育てているうちに「ナンカ、可愛いジャン!」となり、5歳ぐらいになると「うちの子、一番可愛いジャン!」となった。しかし13歳ぐらいになると「チョットね!」から次第に落ちてきて「ナンカ、可愛げナイナー」となり「興味ナシ」までさほどの時間は要しなかった。

そしてわが母は「子供のためだけに生きた」と言い続けて恩を売るような卑怯さを持っているが、私が成人し、母が中年になってからも病気のときは駆けつけてくれたし、美味しいものがあったからと届けてくれるような母性らしさが時々見られた。。しかし老年になるにつれ子供への愛情はほとんど見られなくなった。灰白質が薄くなると原始的な部分が優位になってきてエゴまる出しとなった。91歳になった母に母性はまったく感じられない。おそらく、私もあと少しで自分の子供に母性を示すことがなくなる気がする。母性は灰白質の部分で、知性と経験が合同で創り上げるものらしい。その証拠に、子供への愛情深さゆえに子育てに悩む母親たちはみな知性が高いことが共通している。教育ママなどと揶揄されてもへこたれないで頑張れるのは知性と意志の力で母性を育てているからだ。

母性が本能だと教えられたために娘時代の私は女として欠陥商品だと感じていたから、ことさら媚びを売って自分の女らしさを誇張しなければと思っていた。でも、そんな不自然な在り方が嫌でたまらず女性解放運動に傾倒したこともあった。結局、いい加減なままで来てしまったが、私にとって愛する能力と母性は連動しているようだ。本当のところ、大事なものの順列なんていつも適当に選んでいたし、常に変っていたので意志が弱いことは自覚していた。知性はまだ残っているかもしれないが不十分な意志力のために今や母性が消えかかっているらしい。

Posted by kozue : 22:22

2010年06月19日

お伊勢さまは畏れ多いところでした

前回、神様のお引越しに興味を持ったことで、結果として神様の中心的存在である伊勢神宮に参拝したくなって、早速行きました。その日は到着時刻が遅かったので、とりあえず駅前で夕食を取ってからホテルを探してぶらぶら歩きました。40数年前に一度訪れていますが「赤福」を食べた記憶しかなくて、また今回も下調べせずに突然来てしまい、これからどうしようと途方にくれながら外宮の前までやって来ました。でも神様の気配がしません。「神様は今回もお留守かも?」と不安になりましたが、翌朝早起きして詣でました。参道に入って鳥居をくぐり15mほどのところから強い氣のようなものが感じられ期待感が高まります。豊受大神宮の南御門のところで御正宮を拝むのですが、足元がふらつくほどの強い力が風のように噴きつけていました。それは地底の巨大なマグマのような測り知れない力であり、その前では善も悪も消し飛んでしまうほどの恐ろしいもので人の存在は砂粒にも値しないようでした。打ちのめされた心地でその場を辞して三ッ石のところに来ました。そして、ついうっかり石に触れてバチが当たりました。右手が感電したような感じで中指が動かなくなったので、池の方向に逃れて行くと観光客が小さな石橋のところで写真を撮っています。私も亀石の上で池をボーっと見ていると左足が先ほどと同様にしびれてきて不整脈が出始めました。とても耐えられなくなって境内の外に出ると、不整脈は2時間ほどで消失しました。その後は前より元気が出て来た気がしました。

午後から内宮へ行きました。宇治橋を渡ってほどなく、ホンワリした暖かい(遠赤外線効果に似ている)感じがしてきて、その感じは境内全体に満ちていました。御正宮を参拝した時も感じが強まるだけで外宮で感じた恐ろしさはまったくありません。内宮、外宮ともそれぞれに穏やかな「和御魂」と勇敢な「荒御魂」を祭っているはずですが、感じられる「氣」の違いはどこから来たのでしょう。内宮に祭られている天照大御神様の境内では力の元が何かに覆われたような感じの柔らかな波動に感じられます。それに比して、外宮では強い鋭い焼くような波動でした。これは神様の性格によるものでしょうか?役割のせいでしょうか? それとも天照大御神様は再び天岩戸に入られて半分顔を隠されているのでしょうか?

ぼんやりそんなことを考えながら内宮を後にして「おはらい町」を歩いていると、通りは賑やかでイベントもあるらしく、若者が喜びそうな時世に乗じたお店が並んでいて祭りの雰囲気がありました。それに較べて外宮のある駅前に活気が無かったのが気になりました。市街地の真ん中に位置するのに閉店している店が目立ち、ビルも老朽化したものが多いようです。現代人が伊勢詣でをしなくなったとはいえ この違いはかなりのものです。内宮は皇大神宮ですが、皇族の方々は両宮を参拝されるはずだし、神社仏閣は無税だから街の経済に関与しているとは思えません。天照大御神様がお呼びになった豊受大御神様を地元民が軽んじるはずはないけれど、外宮は5百年近く遅れて建立されているので新参者の扱いなのでしょうか?どうも私には「氣」の種類が関係しているように思われました。外宮の激しい氣は近くのものを弱らせてしまうのではありませんか?境内の外へはブロックされている感がありますが、それでも長い月日のうちに少しずつ被曝したような感じになったのではないですか?それに対して、内宮の穏やかな氣は私たちに太陽の恵みのような効果を与えてくれるのかもしれません。ただ内宮の氣は遠くにあるために恩恵をもたらすのであって、もし近くに寄ろうとすれば脅威と変わるのでしょう。その意味で外宮は庶民に近いところに存在しているのかもしれません。

そしてわかったことがありました。私の親族に「荒御魂」のような強い力を発している人がいて悩みの種でした。彼女はいつも周りの人たちとうまくやれず、相手の自立を認めません。自分の思う通りに事が進まないと癇癪を起こして従わせるので相手は疲れ切ってしまうのです。こんな場合は納得してもらおうとせずに相手との距離をしっかり保たなければいけなかったのです。接近して説得しても彼女の力が大きすぎるのでこちらが疲憊するだけでした。戦わず遠巻きに見ているのが最善の策だとやっとこの時気付きました。

Posted by kozue : 22:18

2010年05月15日

改築中神社の神様はお留守です

神楽坂に行った折に赤城神社に寄りました。全面的な改築工事のため参道の門は閉鎖さられていましたが、良い『氣』だけでも頂こうと石柱の前にたたずみました。神社に感じる「霊気のようなもの」は全く無く、傍らの大木に手を触れて確かめてみても何も感じられません。変だなと思って少し周辺を歩くと左側から良い気配がするので、近寄ってみると仮の祭壇がしつらえてありました。みかん箱を数倍にしたような木の覆いの中にお神酒と鏡がちょっこんと置かれて、張り紙で「参拝はこちらでお願いします」とあります。改築中の立派な建物には似つかわしくない簡素さで拍子抜けしましたが、正面に立ち参拝するとすごい『氣』を感じます。それは『鏡』から発生していて、人為的に最近入れられたようでした。この現象に遭遇して、これまでの神様とか氣とか霊的な物に対する考え方が間違っていたことを知りました。

今まで、「霊気のようなもの」はその『土地』や古くからある『物』ーたとえば石、剣、仏像などーに存在していてそこに限定されたものだと理解していましたが、赤城神社の神様は本殿のご神体から何らかの手段で小さな『鏡』の中に移されていました。その神様の気配はかなりの強さを持っており、交感神経が興奮させられてやる気を出させるもので、これって高尾山の神社や奥沢神社でかって感じたことがありました。

真実を確かめるべく、奥沢神社の神主様を訊ねることにしました。善日に神社に参拝してると後ろから神主様に声をかけられました。アポ゚無しの初対面なので偶然にしては出来すぎね。そこでうかがった話を私流にまとめると、神様は私たちがお願いしておいでいただくのだが、お願いするには場所も人も時もきちんと整えなければいけないようです。神様は高いところや綺麗なものや正しいものがお好きなようで、そういうところにとどまり熱烈歓迎に応えられるのでしょう。でも、工事中でうるさかったり、下心ありそうな時は去ってしまわれるらしいです。神様の性格は大雑把に分けると、荒々しい武将タイプと穏やかな和平タイプがあるようで、それは親族的に受け継がれているらしいです。民衆の都合で、時代とともに神様の人数?も増え問題児も出現しました。だから旧来の単純な祈り方ではご利益が出にくくなったのかもしれません。私が感じている「霊気のようなもの」は神様の気配かもしれないし『氣』なのかもしれず、それが良いものだとは限らないそうです。

奥沢神社の神主様は『神様』と『氣』を分けておられましたが、私は同一線上にあるものだと考えています。全ての人に7~8種類の『氣のようなもの』が出ているのが見えます。他の動物や非生命体である物質、人工物からも同様に発生していて、出ている種類と数が違うだけです。その性質には神様の武将タイプと和平タイプが少しずつ含まれています。人間に交感神経と副交感神経が拮抗しながら働き生命を維持しているのも同じようなことかもしれません。『氣』を見れるようになってから「神は全てに宿る」という感覚が分かった気がしています。古代の人たちは『氣のようなもの』をみんなが感じて見ていたのでしょう。仏や菩薩やキリストやマリア様が背後に光輪を着けておられる姿は見たとおりを描写したものではないかしら。

『氣』が見えることで、病気の有無や幸運の招聘が分かればどんなにすごいかと妄想しますが、実際は何の役にも立ちません。これは特殊能力というより誰でも可能なものらしく、33名に『氣』の見方を教えたところ31名が見ることができました。実用的ではないけど見えた『氣のようなもの』が『神様』に連なっていると思えば、ちょっと素敵じゃないですか。それに神様はきちっとお願いすればお越しいただけるようです。しかし、ご利益を得られるかどうかは神様しだいなのかしら。

 

Posted by kozue : 19:49

2010年03月31日

私は強い人なのか?

先日、知人と話してる折に「あなたは強いからそんなことが言えるのよ!」と憮然とされてしまい、こちらこそ唖然とすることがありました。私の体が強いはずはないので、精神的なものが強いという意味なのでしょう。そう言われても「どこが・・?」って感じで参ってしまいました。今まで「強い」、「鈍い」、「粘い」、「太い」、「ちゃっかり」、「ぽっかり」、「しっかり」、という形容詞、形容動詞を私に被せる人がいても「何も知らないくせによく言えるわネ」と無視していましたが、何故こういう納得できないことを人様に言われてしまうのかきっちり分析しておくほうがイイかなと考えました。

知人は息子が職場の人間関係で悩んでいることで彼女も悩んでいました。なぜ彼はうまく人と付き合えないのか、なぜ明るくふるまえないのか、なぜ積極的な行動がとれないのかと気をもんでいました。でもそれらは彼女にも当てはまることですから体質みたいなもので、気に入らない遺伝を持ったと文句つけてもしょうがないわ。「今まで支障なくやってこれたのだから、それらの性格はたいしたハンディーではなさそうよ。」と言うと、「子供のことがいつも気になって、そんなふうには考えられない。」と答えが返ってきました。

こういう感じを母性とか愛情と呼ぶのでしょう。私は眼前に子供がいないとその存在はほとんど意識されません。それは友人でも、家族でも恋人でも同じです。夫との恋愛期間中もここにいない彼の存在は意識されることがないという事実に気づいていて、それを愛情の欠如だと恥じていました。私には愛する能力が足りないのだと確信していました。今ここにあることが私の世界の全てらしいのです。想像することは大好きですが、想像の世界を体験している自分しか実感がありません。夫ならば、子供ならばという仮定は成り立ちません。だから一人でいても楽しく過ごせます。友人や家族といても楽しいですが、いなければ彼らをほとんど意識しませんから、ときに周囲の人たちから薄情な人間だと思われるようです。友人からのお誘いはほとんど無くて、誘う時は必ず私からの一方方向であるのがその証明でしょう。やはり情が薄いというのでしょう、あるいは執着しないのかもしれません 。

小さいころからの私のイメージは『暗い冬の小道を這いながら、震えながら進む姿』であり、路傍の街灯や焚火などに遭遇すれば僥倖だというものなので、こんな最低の状況を人生のベースとしていれば何があってもしょうがないとあきらめられるわね。もうひとつ子供のころから考えていたことがあります。『自分は何を求めるか?』という問いに対する答えを見つけるというものです。中学2年生の夏休みにそれは一つの『スペル』を綴ることだと思いました。それからずっと綴らねばならぬ『スペル』を探していて50代半ばにやっとこれだろうというものがでてきましたが、まだ決定ではありません。これって大いなる一人遊びだと思いませんか。そうすると私に被された様々のことは合っていたことになります。ここまで書いてきてやっとわかりました。繊細さの反対にある野蛮な強さというものは個人の資質ではなくて家系が有するDNAなのだと。私の家族はフレンドリーでもなければ争い合っている関係でもありません。用事がなければ電話もしないし、正月でさえわざわざ集まることはありません。困った時は助けてくれず、必要ない時にはおせっかいしてきます。それぞれが勝手で相手に要求はするが期待はできないと思っています。この姿勢は表現方法が少し異なるだけで私の実家の者たちに共通します。そういえば父方の祖母に私はよく似ていると言われていましたが、祖母も同じような性格だった気がします。

 

Posted by kozue : 22:05